ここのところ、衆議院選挙も近くなり、
永田町界隈がバタバタしていますね。
普段、政治的なことはあまりオープンに意見しないんですが、
障害福祉に関わっていると、
特に政治から影響を受けることも多いこともあり、
それなりに政治には関心を向けています。
そんな中で、今回の選挙を前にして、
与党・自民党の総裁選に現職の菅総理が立候補しないことを表明し、
一層バタバタしています。
総裁選での注目ポイントがいくつかある中で外せないのは
「日本初の女性総理誕生か?」
ということかと思います。
日本よりもジェンダーフリーの思想が
していると言われるアメリカでも未だ実現していない
女性大統領に先んじて日本に女性総理が誕生する・・・
一見すると素晴らしいことですが、本当にそうなのか?
そんなことを報道を目にするたびに感じています。
仮に今回女性総理が誕生したとして、
本当に私たちが目指すべきジェンダーフリーの社会は実現するのか?
結局のところ、私達が求めているのは
「女性総理」ではなく「女性が総理になれる社会」なんだと思います。
似てるようでまるっきり意味が違うこの2つ。
障害者の世界でも同じことかもしれませんね。
障害者雇用の問題なら
「障害者の仕事」を求めている裏には「誰でも働ける社会」
学校教育なら
「普通の学校に通わせて」と訴える裏には「どんな人でも等しく教育が受けられる社会」
なんですよね。
女性総理誕か?という話題の中に、
社会の本質が透けて見えたような気がします。
2021年9月15日